日本がブラジルに勝っても、驚かない

2026年6月30日午前2時、ヒューストン。日本代表は北中米ワールドカップの決勝トーナメント1回戦で、ブラジル代表と対峙する。W杯の舞台でこの相手と当たるのは、2006年ドイツ大会以来となる。組み合わせとしては、これ以上ないカードが巡ってきた。日本サッカーが30年かけて問い続けてきたものへの答えが、よりによって最も象徴的な相手を前に問われることになったからだ。


この一戦は、すでに「W杯史上最大級のアップセット」と呼ばれている。ドイツの経済学者ヨアヒム・クレメントの統計モデルは、2014年ドイツ、2018年フランス、2022年アルゼンチンと3大会連続で優勝国を当ててきた。そのクレメントが大会前、このラウンド32で日本がブラジルを破ると予測し、こう述べている。「日本はブラジルに勝つだろう。それはおそらくW杯史上最大級の番狂わせの一つになるだろう」。クレメント自身は今も慎重だ。試合直前のESPNの取材には「最も可能性が高いのはブラジルが勝つことで、日本が今回のアップセット枠になるかもしれないと言っても、ブラジル人があまり怒らないことを願っている」と答えている。


このモデルが見ているのは、選手の調子や戦術ではない。FIFAランキング、1人当たりGDP、人口規模、気候、開催国アドバンテージという5つの社会経済指標だけで、各国の強さを計量する。GDPは単純な比例ではなく二乗で効くのも特徴的だ。国が貧しすぎればタレント育成への投資ができず、逆に豊かすぎると若者がサッカー以外の高価なスポーツやゲームに流れる。だから貧しすぎず豊かすぎない国が有利になる。この5変数で説明できるのは、試合結果の分散のおよそ55%に過ぎないと、クレメント自身が断っている。残りの45%は審判の判定やシュートがポストに当たるかどうかといった、モデル化できない純粋な運だという。日本は、GDPと育成インフラの蓄積、そして近年の欧州強豪への勝利実績によって、FIFAランキング以上の「実質的な競争力」をこの55%の領域で獲得している、とモデルは算定している。


オッズもブラジル1.70倍台、日本5.00倍前後で、市場は依然ブラジル優位とみている。それでも、もし日本が勝つとしたら、それはもう奇跡ではない。45%の運だけに頼った結果ではなく、55%の構造的な蓄積が後押しした、説明可能な事象だ。アップセットの可能性は、すでに織り込まれている。

なぜ、そう言えるのか。データの先にある根拠を、歴史から順にたどっていきたい。


第1部 何が変わったのか

20年前の日本は、自信だけは持っていた。ジーコを指揮官に迎え、中田英寿、中村俊輔、小野伸二といったタレントを擁した黄金世代は、2004年にアジアカップを連覇し、2005年には世界最速でW杯出場権を獲得していた。コンフェデレーションズカップではブラジルと引き分け、世界の強豪と渡り合ったという手応えもあった。当時の日本は「史上最強」と呼ばれ、ベスト16を超えていくことへの期待は必然的に高まっていた。


だが2006年ドイツ大会のブラジル戦、その期待は儚く散った。玉田圭司のゴールで先制したものの、そのゴールが眠れる王者を本気にさせた。1対4の大敗。試合後、現役引退を表明した中田英寿がセンターサークルで仰向けに寝転がる姿が、夢半ばで潰えた挑戦を象徴していた。この一戦には、実は伏線があった。1996年アトランタ五輪、いわゆる「マイアミの奇跡」だ。西野朗監督が率い、当時19歳の中田英寿も先発した五輪代表が、ロナウド、ロベルト・カルロス、ベベット、リバウドを擁する優勝候補のブラジルを1対0で破った。28本のシュートを浴びながら、伊東輝悦の一撃を守り抜いての勝利だった。世界に衝撃を与えたこの試合の記憶は、10年後のドイツでも生きていた。玉田が先制した直後、ブラジルの猛攻を川口能活が好セーブで防ぐ展開を、現地で取材していた記者は「まるでマイアミの奇跡の再演を見ているかのようだった」と書いている。だが、奇跡は二度は起こらなかった。


正確に言えば、マイアミの後、日本はブラジルに勝てていなかった。2000年シドニー五輪のグループリーグでは0対1で敗れ、4年前の雪辱を許した。国際大会の大舞台では、マイアミの1勝のあとシドニーとドイツで連敗を喫していた。「マイアミは一度きりの番狂わせだったのか、それとも本物だったのか」という問いは、長く宙に浮いたままだった。


その問いに、ひとつの答えが出たのが2025年10月14日だ。東京スタジアムでの親善試合、日本は前半に2失点しながら、後半に南野拓実、中村敬斗、上田綺世のゴールで逆転し、3対2で勝利した。A代表として14度目の対戦にして初めて、ブラジルを破った。それまでの戦績は13戦して2分11敗、一度も勝てていなかった相手からの歴史的な初白星だった。


この勝利を「親善試合だから」と片付けるのは簡単だ。実際、それが大方のコンセンサスでもある。W杯の本気のブラジルは別物だ、と。だが興味深いのは、森保一監督自身がその見方を否定していることだ。スウェーデン戦後、ブラジルメディアから「これまではアンダードッグとして臨んでいたが、今回は互角という感じで対戦することになるのでは」と問われると、森保は「互角と言っていただけることはうれしい」と応じ、「一昔前であればブラジルからすれば日本は楽に勝てる相手だったかもしれないが、去年の親善試合でも起こったように、簡単に勝てる相手ではないと認識してもらっているのは日本サッカーの成長かなと思う」と返した。あの勝利は偶然ではなく、実力の表れだと言い切ったのだ。


時代が変わったことを、ブラジル側の当事者も認めている。2002年大会の得点王で、2006年のドイツ大会では日本から2点を奪ったロナウドは、今大会前に「日本とスウェーデンには簡単に勝てる」と発言して注目を集めた。だが、あるブラジル人記者はこの発言にこう反論している。「確かにロナウドがいた2006年の試合は簡単に勝てた。でもこの20年間でたくさんのことが変わった。20年前と比べたら、日本はどんな相手にも勝てる状況になったけど、ブラジルはちょっと弱くなった」。20年前は精神論と期待だけがあった。今は、実績がそれを裏打ちしている。これが、最も大きな変化だ。


第2部 なぜ変わったのか

変化の核心にあるのは、継続だ。日本はカタール大会後も森保一監督が指揮を執り続けている。日本サッカー史上初めて、W杯をまたいで同じ指揮官が代表を率いた。約4年間、戦術は深く浸透し、選手たちは指揮官の求めるものを体に染み込ませてきた。


対照的なのがブラジルだ。カタール大会でチッチが退任して以降、ラモン・メネゼスの暫定体制を経て、2023年7月にフェルナンド・ジニスが就任。だがW杯南米予選で3連敗を含む4戦未勝利となり解任され、2024年1月にドリヴァウ・ジュニオールが後を継いだ。そのジュニオールも2025年3月、アルゼンチンに1対4で敗れるなどの不振により解任される。そして2025年5月、ようやくカルロ・アンチェロッティが就任した。カタール後のわずか2年半で、4人もの指揮官が代表を率いたことになる。アンチェロッティという名将を得て安定し始めたとはいえ、その期間はまだ1年程度に過ぎない。日本の4年に対し、ブラジルの安定はその4分の1だ。


監督交代がチームに何をもたらすかを、皮肉にも今大会で雄弁に語ったのは、グループステージで日本に0対4で敗れたチュニジアだった。チュニジアはアフリカネイションズカップ後にサミ・トラベルシ監督を解任し、今年1月にサブリ・ラムシを招聘。だがW杯初戦のスウェーデン戦で1対5の大敗を喫すると、大会期間中にもかかわらずラムシも解任し、エルヴェ・ルナールを緊急招聘した。大会の最中に二度も指揮官が代わるという異例の事態だった。日本戦後、チュニジアのDFアリ・アブディは感情をあらわにこう語っている。「僕らは練習する時間がない。課題を修正する代わりにすべてを壊して毎回イチから作り直している。一緒にプレーしたことが一度もない選手とW杯に臨んでいる」。そして相手である日本を引き合いに、こう続けた。「相手は何年間も準備してきたが、僕らはわずか数試合をするだけだ。しかも僕らは4年間にわたって安定した戦力を維持してきた強豪国と対戦することになるんだから」。混乱するチームの選手が、安定したチームの価値を最も切実に証言したのだ。


そして日本は、その4年間という時間を、ただ漫然と過ごしたわけではなかった。様々なスタイルの相手と意図的に対戦を重ね、あらゆる課題を潰してきた。欧州の強豪とは、2023年9月にアウェイでドイツを4対1で粉砕し、2026年3月にはスコットランドを下した。南米勢とは、2025年10月にブラジルを破り、11月にはボリビアを3対0で退けた。アフリカ勢とはガーナに勝ち、今大会のチュニジア戦でも完勝した。北中米のカナダには過去2戦2勝。唯一の黒星はアメリカ戦の0対2だが、それも含めて多様なスタイルへの対応力を磨いてきた。アンダー世代でも、2023年11月にはパリ五輪を目指すU-22代表がアルゼンチンを5対2で破っている。世代を超えて、南米の強豪相手に結果を出してきた。


ブラジルが南米予選でパラグアイ、ボリビア、そしてアルゼンチンに敗れ、ホームでも初黒星を喫して18試合6敗の5位通過に終わったのとは、対照的な道のりだ。南米予選で苦しんだブラジルと、その南米勢に善戦してきた日本。この対立構造そのものが、今回の試合の見どころになる。


鎌田大地が「自分たちが積み上げてきたものがあるので、変える必要はないと思う」と言い切れる背景には、この蓄積がある。準備はすでに完了している、という自負の表れだ。欧州でもどんなスタイルでも対応できる引き出しを、日本はこの4年で手に入れた。


 第3部 そして、どうなるのか

森保ジャパンの準備の周到さは、想定外の事態への耐性となって、すでに今大会で証明されている。大会前、チームの柱だった南野拓実が前十字靭帯断裂で、三笘薫がハムストリングの負傷で、それぞれW杯メンバーから外れた。さらに開幕直前にはキャプテンの遠藤航が離脱。「6番、7番、8番」を背負い、この4年間チームの中核を担ってきた3人が、揃って不在となった。そしてグループステージ初戦のオランダ戦では久保建英が負傷し、第2戦を欠場した。


それでも日本は揺るがなかった。オランダと2対2で引き分け、チュニジアに4対0で完勝、スウェーデンと1対1で引き分けて、無敗でグループを2位通過した。主力が次々と欠けても強さが変わらない日本を見て、米FOX SPORTSは「これほど多くの負傷者が出ているにもかかわらず好調を維持し、勢いは全く失われていない。この世代の日本の選手たちはあらゆるレベルで才能ある選手が揃い、選手層が非常に厚い」と評した。


この選手層は、偶然の産物ではない。森保監督は以前から「2チーム、3チーム分の戦力が欲しい」と語り、前回大会以降に100人近い選手を代表に招集してきた。試合のたびにメンバーを入れ替え、多くの選手に代表を経験させた。「ある程度固定した方が」という声にも信念を貫いた。遠藤が離脱したとき、代わりに呼ばれた町野修斗も、その「3チーム」構想の中にいた選手だった。呼ばれなかった選手の中にも、確実に戦力は存在していた。チュニジア戦の大勝後、森保は明言している。「誰が出ても勝つ、誰と組んでも機能する、これをテーマにチーム作りをしてきた」。


この周到さは、過去の痛みから学んだものだ。森保監督自身が選手として経験した1993年の「ドーハの悲劇」では、Jリーグ発足当時の日本は選手層が薄く、直前に左サイドバックの都並敏史が負傷するとその穴は最後まで埋まらなかった。もし選手を固定して戦っていたら、今回の主力3人の離脱でチームは動揺したかもしれない。


過去の教訓への対策は、細部にまで及んでいる。カタール大会でドイツとスペインを破りながらコスタリカに敗れた経験は、引いて守る相手への備えにつながっている。そしてクロアチアにPK戦で敗れた経験は、PK戦への準備として残っている。象徴的なのが町野修斗だ。カタール大会のクロアチア戦、彼はウォーミングアップを命じられながら、こう考えていたという。「残り時間も少なかったから、あそこで出るならPK戦にもつれこむ確率も結構高いなと感じていて。だから、蹴るための準備もしないといけないと」。出番は来なかったが、その町野は2024年、ドイツのホルシュタイン・キールで正式なPKキッカーを任されるまでになった。加入早々、英語もドイツ語もおぼつかないなか「アイ・ネバー・ミステイク(私は外したことがない)」と必死にアピールしてキッカーの座を勝ち取ったという逸話も残っている。ブンデスリーガで指名されてPKキッカーを務めた日本人は、長谷部誠、鎌田大地、そして町野しかいない。延長、PK戦という展開になったとき、日本には蹴れる人材がいる。


一つひとつのエピソードは小さい。だが、それらが指し示すのは一つの事実だ。森保ジャパンは、見落としそうな細部まで含めて、想定されるあらゆるシナリオに対する駒を揃えてきた。本気で優勝するために、すべての準備をしてきたチームなのだ。


「優勝」は、もはやこのチームにとってお題目ではない。第2次森保体制の始動時、キャプテンの遠藤航が「W杯でどうやったら優勝できるかを考えて、行動してほしい」とチームに呼びかけ、それが共通の指針となった。堂安律は「W杯優勝と言わないと、逆に取り残されるような集団になれている」と語る。主力陣の大半が欧州5大リーグで戦い、世界のトップと対峙することが日常になった今、優勝を目標にすることは森保の言葉を借りれば「ある意味、普通の感覚」になった。だからこそ、親善試合でドイツにもブラジルにも勝って、誰もはしゃがなかった。


そのメンタリティーを、ある報道はこう表現している。選手たちは「ギラギラとした個人のプライドを胸に秘めながら、極めて成熟した利他主義へ移行した」と。表に出る言葉は、徹底して謙虚だ。森保はブラジルを「世界トップトップの強さがあるのでリスペクトしている」と言い、対戦を「楽しみにしている」と語る。煽りはない。スウェーデン戦後にアルゼンチンメディアから「日本以外でベストチームは」と問われ、「アルゼンチン」と答えてブラジル記者に「すいません」とポルトガル語で謝った場面は、人柄の良さとして報じられた。だが、その謙虚な言葉の内側にあるのは、相当にギラギラした本気だ。


ブラジルにはヴィニシウス・ジュニオールがいる。今大会グループステージ3試合で4ゴールを叩き出し、左サイドから切り込むドリブルと決定力は世界最高クラスだ。日本にとって最大の脅威であることは間違いない。だが、ブラジルがヴィニシウスの個に依存する傾向は、強みであると同時に弱みでもある。元日本代表の中澤佑二は、冨安健洋を1対1で対応させるキーマンに挙げ、複数人で囲んでスペースを与えすぎないバランスが重要だと指摘している。個の力に対して、組織と選手層で挑む——現代サッカーの典型的な対立軸が、最高の舞台で展開されることになる。


前日会見でも、森保監督の言葉から同じ姿勢が読み取れた。優勝候補かと問われ、「ブラジルはもうどの大会でも本命の優勝候補」だと認めた上で、「自分たちで言うとダークホースの優勝候補、それが我々だ」と語った。続けて「我々にも、去年起こしたように勝つチャンスはある」。日本のアイデンティティについては「変える必要は全くない」とした上で、「何が足りないかと言うと、アイデンティティではなくて経験値」と分析した。PK戦への備えも、前回大会の教訓から具体的に変わった。クロアチア戦の経験を踏まえ、「PK濃厚になるぐらいになればキッカーの順番を決めておきたい」とし、決定方式を選手の挙手制から「私が最後決めて選手たちに伝える」という監督指名制に変えると明らかにした。久保建英のブラジル戦欠場もこの会見で確定したが、26人のうち出場していない選手は町野修斗一人だけだという。主力が欠けても、層の厚さでチームは揺るがない。


迎えるブラジルの指揮官カルロ・アンチェロッティは、「我々はマインドゲームに応じない」と語った。ブラジル人記者から、日本の選手の発言についてチームに伝えたのかと問われた際の言葉だ。記者が指していたのは、FW塩貝健人の発言だった。21歳のストライカーは、ブラジル代表の印象を聞かれて「昔は強かったけど、今はどうなんですかね」と答え、過去9得点を奪われている「日本キラー」ネイマールについては「昔のネイマールよりは大丈夫だと思う」と語った。発言は本人に挑発の意図はなく、ブラジルの強さも一定認める文脈を含んでいたが、ブラジル国内では翻訳を経て独り歩きし、一部メディアは「傲慢」「軽視」と報じた。塩貝のインスタグラムには、試合前日までに1万8000件を超えるポルトガル語のコメントが殺到した。通常の投稿につくコメントが3桁であることを考えれば、異常な数字だ。アンチェロッティはこの騒動について「選手に対して何も言わない。そういうことを言うとより危険なプレーを招くかもしれない。そのリスクは取らない」と述べ、チームへの共有を拒んだ。冷静な対応だが、裏を返せば、無視できないほど話題になっているということでもある。21歳の若手の一言が、サッカー王国の国内メディアとファンをここまで揺らした。それ自体が、両国の今の力関係を物語っている。


30年前、若き日の日本がマイアミでブラジルを驚かせた。その記憶を引き継いだ世代が、ドイツで本気の王者に挑み、跳ね返された。あれから、日本は問い続けてきた。あの勝利は本物だったのか、と。2025年の3対2は、その問いに「本物だ」と答え始めた。そして今、W杯本大会という最も重い舞台で、日本は20年前の借りを返す機会を手にしている。今度は、期待だけではない。4年分の準備という、確かな根拠を携えて。


ラウンド32の初戦、相手がブラジル。これ以上ないストーリーが、6月30日の深夜に幕を開ける。日本がブラジルに勝っても、驚かない。


by SportsPressJP 

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