「コービーの隣に立ちたい、それだけだった」——フィル・ハンディが神戸で辿り着いた答え
神戸での Day2 会見で、フィル・ハンディ(ダラス・マーベリックスAC)に、神戸の街とコービー・ブライアントについてどう感じているか尋ねた。コービー・ブライアントの名は、父・ジョー氏がレストランの神戸ビーフに感激して名付けたという、よく知られた逸話がある。
その名の由来となった街に、指導者としてのキャリアで最も大きな存在だった男の名を持つ街に、いま自分は立っている——ハンディはそう切り出し、「特別な場所だ」と語った。この街に来ることが決まった瞬間から、ずっと心が高ぶっていたという。滞在中は人々の温かさと街の心地よさに触れ、新しい文化に触れられること自体を旅の喜びとして語った。答え終えると、通訳を通してきちんと伝わっているか確かめるように、一拍間を置いた。そして笑いながら、前夜にスタッフに連れて行ってもらった神戸牛の味を食べ過ぎてしまうほど美味しかったといい、「トレメンダス(最高だ)」と笑顔で答えた。
この一言の重みは、25年近く遡らないと分からない。
無名の元選手、コービーの隣に立ちたいという一心で
ハンディは1971年8月24日、カリフォルニア州サンリアンドロ生まれ。ハワイ大学を経て、1995年のドラフトでは指名されず、以後はCBAと海外7カ国のリーグを渡り歩くジャーニーマンとしてキャリアを送った。奇しくも誕生日はコービーのジャージ番号にちなむ"マンバデー"と同じ8月24日で、ハンディはコービーより8歳年上にあたる。彼が現役を退いた頃、コービーはすでに3度の優勝を経験していた。
現役引退後、トレーニング会社「94 Feet of Game」を設立。2011年、マイク・ブラウンHC体制のレイカーズにコーチとして加わった理由は、本人いわく、コービーの近くに立てるか自分の力量を試したい、それだけだったという。
静かに始まった信頼
最初から良好な関係だったわけではない。ハンディはただ自分の仕事をこなしただけだった。早く体育館に入り、担当する選手たちと練習する。何日か経つと、コービーがトレーニングルームから出てきては椅子に座って見ている、それだけの日が続いた。言葉は交わされなかった。そこから少しずつ関係が育っていったという。
2つのボールを同時に扱うドリブルドリルを提案した際、コービーは「俺たちは2つのボールでプレーしない」と拒んだが、最終的には目を閉じたまま器用にこなしてみせた。逆にコービーが新しいポストムーブをハンディに披露したこともある。足を軽く払ってバランスを崩させ、そのままフェイダウェイを沈めた瞬間、ハンディは思わず「それ、教えてくれ」と口にしたという。
ジジとの最後のワークアウト
ハンディはコービーの13歳の娘、ジアンナ(ジジ)の指導にもあたっていた。2020年1月26日、ヘリコプター事故で命を落とす約2週間前、ハンディは実際にコービー、ジジ、そして同じ事故で亡くなったアリッサ・アルトベリと一緒に体育館にいたという。事故翌日、感情を抑えきれず、車を高速道路の路肩に停めて涙をこらえたとハンディは振り返っている。
受け継がれた教え
2021年、ハンディはコービー本人から2015年に"ゴールド・マンバ"の愛称を贈られたWNBA選手、ジュエル・ロイドとともに、コービー直伝のトレーニングをアプリで公開する「ゴールド・マンバ・ワークアウト」を立ち上げている。コービーの教えを、本人の死後も次の世代に手渡す。ハンディにとって、それはすでに一度やったことのある行為だった。
3チーム、6年連続のファイナル
2013年からキャバリアーズでレブロン・ジェームズを指導し、4年連続でファイナルへ。この間、コービーとカイリー・アービングをロサンゼルスでの会食で直接引き合わせたのもハンディだった。アービングはこの縁を通じてコービー直伝のワークアウトを取り入れ、2016年ファイナル第3戦の前夜にはハンディから届いた激励メッセージを受け取っている。その試合でアービングは30得点8アシストを記録した。
2016年にキャバリアーズ、2019年にラプターズ、2020年にレイカーズで優勝。異なる3チームでの優勝という、アシスタントコーチとしては極めて稀な記録を打ち立てた。この間、ネッツがスティーブ・ナッシュのスタッフとして引き抜こうとしたが、ハンディはレイカーズに残ることを選び、6年連続のファイナル進出を果たしている。
八村と、日本への帰還
八村がレイカーズ移籍後、専属コーチとして指導にあたったハンディは、指導の出発点についてこう語っている。「まずレイカーズに彼が来た時に理解してもらわなければならなかったのは、彼がどれだけ優れたシューターであるかということでした」。弱点ではなく長所から入る哲学は、コービーの下で培われたものと地続きにあるように見える。
2025年7月、ハンディはレイカーズを離れマーベリックスへ移籍した。それでも同じ夏、「BLACK SAMURAI 2025 THE CAMP」に参加し、日本の高校生たちの前に立っている。2026年も日本に戻り、こう語った。「日本に戻ってくることは、私にとって大きな意味があります。塁は『BLACK SAMURAI』で特別なものを築き上げました」。
いま、二つの"次世代"を同時に
マーベリックスでのハンディの役目は、2025年ドラフト全体1位のクーパー・フレッグの育成が中心とされている。本人はギリシャのメディアの取材にこう語っている。「大事なのは彼自身が成長し、自分が何者になりたいかを自分で見つけられるようにすることだ」。フレッグは2025-26シーズン、新人王を獲得している。NBAでは次世代のスーパースター候補を、日本の夏では次世代の高校生たちを、ハンディは同時に育てている。
コービーの隣に立ちたい、それだけの理由で始まったキャリアは、3チームでの優勝を経て、たまたまレイカーズで出会った一人の日本人選手を通じて、神戸という街にたどり着いた。もし八村と出会っていなければ、この街に来ることもなかっただろう。「トレメンダス」と笑ったあの一言の奥には、25年分の想いと、神戸の街の不思議な巡り合わせを感じていたのかも知れない。
Photo by Kyoko Hayashi / SportsPressJP
Reported by: Tomoyuki Nishikawa / SportsPressJP
Courtesy of BLACK SAMURAI KOBE CAMP
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