大会開幕を1週間後に控えた8月12日、JFAサッカー文化創造拠点「blue-ing!」で、小学生を対象とした夏休み体験イベント「SAMURAI BLUEも最初はココにいた!? 〜世界へつながる『天皇杯』のヒミツに迫る〜」が開かれた。日本サッカー協会の宮本恒靖会長と天皇杯レジェンドOBの名波浩氏が、"子ども記者"として集まった小学生たちの前に立った。
天皇杯の起点は1919年に遡る。英国大使館書記官補ウィリアム・ヘイグの働きかけで、サッカーの母国イングランドのサッカー協会(The FA)が純銀製の「FAシルバーカップ」を寄贈。これを機に1921年、大日本蹴球協会(現JFA)が創設され、同年開催の全国大会でこのカップが優勝チームに贈られた。これが天皇杯第1回大会にあたる。「サッカーの母国はイングランドで、イギリスとは違う」。宮本会長はクイズを交え、代表チームを分けるスコットランドやウェールズの存在も紹介した。
このFAシルバーカップは戦争末期の1945年、金属不足を理由に供出され失われた。戦後の1947年、明治神宮外苑競技場での東西対抗戦を昭和天皇と皇太子(上皇陛下)が観戦されたことを機に、1948年7月、宮内庁から天皇杯が下賜された。当初は東西対抗戦の勝者に贈られていたが、1951年度の第31回大会から全日本選手権の優勝チームに授与される形となり、大会名も「天皇杯全日本サッカー選手権大会」となった。最初に天皇杯を手にしたのは、現在は存在しない社会人クラブ「慶應BRB」だった。
1969年からは決勝が元日開催となり、現在まで続く「元日決勝」の伝統が始まった。今大会は6年ぶりに国立競技場での元日決勝が復活する。参加規模も当初の4チームから、プロ・社会人・大学生が参加する現在の88チーム・47都道府県代表制へと拡大した。引き分けのない一発勝負のトーナメントで、格上を食う「ジャイアントキリング」(相撲由来の「番狂わせ」)が名物となっており、筑波大学や東洋大学がJ1クラブを撃破した例が紹介された。歴代最多優勝はかつての強豪・慶應BRBの8回で、浦和レッズが同じく8回で並んでいる。
「サッカーを通じた友情の絆はなくならない」。2011年、JFA創立90周年を機に消えたFAシルバーカップの複製をイングランド側に打診したところ、FA側が「自ら作り直して贈りたい」と申し出て、66年ぶりに新生FAシルバーカップが誕生した。この逸話で、100年史の講義は締めくくられた。
歴史講義に続いて行われたのが、子どもたちが"記者"として質問をぶつける模擬記者会見だ。「ブラジル代表の記者会見ではメディアがバンバン手を挙げる。それが世界基準」。名波氏がそう呼びかけ、会は活発な雰囲気で始まった。
将来どんな選手が欲しいかと問われると、宮本会長は「頭のいい選手、学ぶ心を持った選手、目標を高く掲げている選手」と答えた。現役時代に対戦した中で最もすごいと感じた選手を問われると、ブラジル代表の10番だったロナウジーニョの名を挙げ、「テクニック、スピード、体の強さ、頭の良さが揃った上で、意外性のあるトリックプレーができる選手だった」と振り返った。
絶対に負けられない戦いでのメンタル管理を問われた場面では、天皇杯決勝を選手として1回、監督として1回経験し、いずれも敗れたことを自ら明かし、「試合前に、自分がやってきたことに自信を持てているかが重要」と語った。コーナーキックのコツを尋ねられた名波氏は、実際にボールを蹴る所作を交えながら「蹴った回数がすべて。中村俊輔もとにかく蹴り込んでいた」と助言した。
こうした活動の意義について、宮本会長は「サッカーで未来を作る」というJFAの成長戦略に位置づく取り組みだとし、「子どもたちにいろんな経験をしてもらい、サッカーを通じていろんな刺激を与えたい」と述べた。天皇杯自体の盛り上げについては「1月1日に戻ったこのタイミングでイベントを開き、メディアで取り上げてもらうことが大会の注目度アップにつながる」とし、「元日決勝をずっと持っていきたいという思いがあった」と、6年ぶりに国立競技場で行われる元日決勝への期待を語った。
天皇杯JFA第106回全日本サッカー選手権大会は8月19日開幕、決勝は来年1月1日、国立競技場で行われる。
Reported by Junko Sato / SportsPressJP
Courtesy of JFA
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